三人の子供を育てていますが、
いわゆる「三歳児神話」が気になったことは、ほとんどありません。
育児休職を終え、職場復帰する時には、毎回涙。
それでもそれは、子供と離れる寂しい気持ちからの涙。
三歳までは私が育てた方がいいのに・・と思っての涙ではありませんでした。
三歳児神話を気にする必要がなかったのは、
保育園に入れるまでにたくさんたくさん抱っこして、
「保育園に預けても、大丈夫」という肌感覚があったこと。
そして、周りの環境に恵まれたからだと思っています。
そもそも、三歳児神話とは
「子供が三歳になるまでは、母親が育てた方がいい」という考え方です。
私も長男を出産した頃、人生の先輩数人にそう言われたことがあります。
タイトルに惹かれて手に取った
『おひさまのようなママでいて」(大日向雅美著、幻冬舎出版)に、
分かりやすい説明がありました。
三歳児神話は、内容的には三本柱から成っています。
第一は、子どもの成長にとって三歳までが非常に大切だという考え方。
第二は、その大切な時期だからこそ生来的に育児の適性を持った母親が
育児に専念すべきだという考え方。第三は、母親が働いたりして、この時期に育児に専念しないと、
子どもの心身の成長がゆがむという考え方です。(p.165)
この「三歳児神話」に対する筆者の考え方が、
私にとっては大変納得のいくものでした。
そして、私がなぜ三歳児神話にとらわれなかったのか、
理由が分かりました。
筆者の考えを要約すると、次のようになります。
・幼少期の大切さは否定できない。
人から愛されて、子供は他者を信ずる心を育むから。
・母親が育児に専念しなければならないと言う考え方は、修正が必要。
子供が育つ力を精一杯支援しようという責任感に裏づけられた人々の
あたたかな思いやりに包まれてこそ、子供は健やかに育つから。
そして、
「内外の研究から、子供の発達は単に母親の就労の
有無だけでは差がみられない」ことも教えてくれました。
私自身のことを考えると、
育児の指針とする、「子育て四訓」を知ることができたこと。
それによって、子供と一緒にいる時間は、その成長に応じた
愛情を注げているという気持ちがあること。
実家や義実家は遠くて頼れないものの、
心から信頼できる保育園に子供を預けられていること。
そして何より、夫と一緒に子育てしている実感があること。
これらの状況、環境があってこそ、
私の場合は「三歳児神話」を気にすることなく生活できるんだと
改めて気づかされました。
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特に心に響いたフレーズ
自分が働くことで、子どもに寂しい思いをさせるのではないか、
と揺れる気持ちは大事にしたいと私は思います。なぜなら、そうした気持ちがあるからこそ、
自分自身の働き方を見直したり、母親だけではできない部分を
他の人と分かち合おうとすることができるからです。(p.167)
この言葉に、私は心の底から賛成です。
私のように、3歳児神話を気にすることなく子育ててしている人。
周りに「子供がかわいそう」と言われてしまい、
気にせざるを得ない状況で子育てしている人。
どちらの場合でも、子供に寂しい思いをしているかもしれないと
思う時があってこそ、子供のために見直すべき点はどこか、
どうしたらもっと子供を取り巻く環境を整られるかという気持ちが
生まれると思うのです。
揺れる気持ちは、大切にしていい。
二人の娘さんを育て上げた筆者から、温かく応援してもらっている。
そんな気持ちになりました。
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