ベリーの暮らし

子供4人(中学生~保育園児)、家庭学習9年目、6時半帰宅の夫婦共働き。実家遠方、都内60平米賃貸マンションに6人暮らし。ラクして部屋が整う工夫を考えるのが大好きです。著書:『シンプル丁寧に暮らす』(すばる舎)

祖母の死


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昨日、祖母が亡くなりました。

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祖母がいなかったら

今の私はありません。

 

私が子供の頃

実家は経済的に苦しかったので

実家から遠いところに住む祖母に

きちんと会ったのは

3回だけでした。

 

子供の頃会ったのは1回、

2歳くらいの頃、母と一緒に。

 

大学生の頃、

貯めたアルバイト代で交通費を出して

祖父(既に他界)の米寿の祝いの席で。

 

そして、数年前

妹の発案で

「生きているうちに会わなきゃね」と

子供たち(祖母にとってはひ孫)を連れて

おばあちゃんに会いに行くことを目的に。

 

実際に会ったのは

たったこれだけでしたが

 

祖母は母を通じて

私のことを

大切な転機に

相当サポートしてくれました。

 

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小6の初秋、

急に思い立って

中学受験をすることを決めた時。

 

国立で授業料は安いのに

面白い授業を受けられるという中学に

「行きたい!」と私が思った時。

 

行きたい気持ちはいいけれど、

進学するには

中学受験をパスする必要があります。

 

怖いものしらずで

あと5か月勉強する期間があると

受験勉強を始めた私に

 

母が祖母に相談したのでしょう、

受験までの塾代を出してくれました。

 

「勉強したい子にはさせてあげなきゃいけない」と。

 

昼夜を惜しんで勉強して

無事中学入試をパスした後

 

今になって思うと

入学に関わる費用も

祖母が出してくれたお金で

賄ったのではと思います。

 

私はおばあちゃんに

季節の手紙を出して

 

おばあちゃん元気ですか、

私はこんな感じで過ごしています、

いつもありがとう、

 

と伝えるだけでした。

 

何の見返りも

それこそ感謝の言葉さえも

求めなかった祖母。

 

私が小さな頃は届いていた

祖母からの返事も

白内障を患ってからは

字を書けない、と

私から送るだけになっていき・・・

 

私が結婚する時には

ぜひ来てもらいたいと思っていただけれど

「年だから、飛行機に乗れないよ」と

結婚式の参加を見送った祖母。

 

戦争の話も

直接は聞けませんでしたが

危機一髪で命を永らえた、と

ずっと後になって知りました。

 

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そんな祖母の命が

母につながり

私や妹につながり

そして私や妹の子供たちにつながっている。

 

最後に会った時には

私の名前はもう思い出せなかったけれど

 

私の母の名前をはじめ

自分が生んだ子供たちの名前を

ひとりひとり順番に

「私の子供たちの名前」

と教えてくれた祖母。

 

ああ、取り留めのない文章になってきた・・・

 

おばあちゃん、ありがとうございました。

 

動きにくくなった肉体を離れ

おばあちゃんの魂が

この秋晴れの空の中

健やかでありますように。

 

数年前、会いに行けて

御礼を直接伝えられて

本当によかった。

 


  

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